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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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ワールドカップ、神戸で初の試合が行われた。日本と同じ組「ロシア対チュニジア」である。夕方の時間を避けて近くを通ったが、ユニフォームを纏ったサポーター達に出会う。その光景を眺めながら、僕はいつもと変わらない店を開ける。

震災の年から店を始めて、僕はたくさんのお客様の人生を垣間見てきた。いつか書いたが、この店がきっかけで付き合い、結婚した人もいる。新しい会社を興した人もいる。もちろんこのご時世、リストラされたり、倒産したなんて人もいた。僕は様々なステージをいつも特等席で観てきた。そしてその中の一人、彼は平成11年2月2日、一人で店に来たのを最後に音信がずっと途絶えていた。

彼はいつもほとんど一人で店に来ていた。そして決まっていつも色々な話をした。仕事のこと、女性のこと、将来のこと、その一つ一つが思い出される。既に普及していた携帯電話すら持たない、マイペースな彼のその独特な風貌になぜかいつも安心した。店に来るに連れて、当然お互いのことも解ってくる。そして辛い話を聞くことも多くなり、時折暗い表情を見せる彼はいつも最後には笑って帰った。それから間もなく訪れた冬、彼は店に来なくなった……。

水曜の夜、その彼から突然3年ぶりに電話があった。

「あのぉ、多分覚えてないと思うんですけど○○です。お久しぶりです」

「あぁ〜、あの変なアドレス帳持ってた○○くんか、久しぶりやなぁ」

機械には疎い彼がやっと手に入れた、当時にしては珍しい「電子アドレス帳(受話器の口に当てるとプッシュ音で相手に掛かるやつ)」を見せて喜んでいた彼の顔を思い出していた。

「覚えてくれてたんですね」

「当たり前や、そんな変な顔忘れへんよ。またいつでも来ぃな。」

「ありがとう……」電話の向こうで、彼は確かに泣いていた。

大手ハウスメーカー神戸支店に勤め将来を嘱望されたはずの彼が、家庭の問題でそこを離れることを余儀なくされてもう3年余が経つ。当時の同僚から、極たまに入ってくる情報によると彼は今一人で過ごし、障害を持つ方々の施設に勤務しているそうである。優しい彼の仕事ぶりが想像できる。

時代や世相の流れや、個人の状況により続けてきたことを止めなければならないのは悲しいことだが、理由は様々なのでとやかく言う筋合いはない。断って継ぐ勇気も必要である。しかし続けていると確実に訪れる「素敵な局面」があることを僕は知っている。だから再会が楽しみである。いつでもあの頃に戻れる、変わらない「志賀」であり続けるためには、電話中に今にも涙が出そうだったなんて、恥ずかしくて言えないけれど。


※志賀私的伝言板
【皆さん色々「オーエス」情報ありがとうございました しかし、がっくし(死語)やなぁ。昨日の日記の「オーエス」の答えが、フランス語で「ho hisse(=それ、引け)」の意味やったとはなぁ 全然気合い入らへんやん 「頑張るぞぉ〜」の時に、何を引くねん、ほんまに (諸説色々あるそうだが) くじ引きのとき「オーエス!」ってか?寒いギャグを言われたときに「オーエスッ!」ってのもなぁ…、「さぁ、お開きにして今日は帰ろう!」てなときに、「オーエス!」って流行らそうか 流行らへんわなぁ ヤングマン西城秀樹みたいに両手で大きく「O(オー)S(エス)」って、明や賢太ならやってくれるやろうなぁ くだらん…… しかし、なんでこんなときだけメールレスポンスが凄かったのだろうか? じゃあ、今度またくだらない質問書いてみますわ】


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