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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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サッカー・ベルギーのゲンクに所属する、鈴木選手を報道する新聞の写真に『必死にボールを追う鈴木(右)』と書いてあった。イチ新聞読者としては、もう少しヒネッたコピーが欲しいと思うが、いかがなものか?短い文章にまとめるのは難しいものだとは思う。

「必死=死をも覚悟するくらい、全力を尽くす様子」と辞書にある。「決死」と同義語だとも書いてあった。その定義に則れば、この場合「必死」と言うよりは『ボールを奪おうと飛び出す鈴木』くらいが無難ではなかろうか。「お前に言われたかぁねぇべ!」と記者さんに怒られそうだが、僕が言いたいのは、もっと明確に、ということなのである。

同じ紙面には『始球式を務めたメイズ氏とボンズ(左)』とあったり、今日の夕刊には『ボールを競い合う小野(右)』とある。つまり「解りやすい」ということが言いたいのだ。ボールを奪う選手が、それが死をも覚悟かと言えば大袈裟だが、「必死」でないわけがない。「決死のダイビング」なら解るが、『必死にボールを……』は、わざわざ可笑しい。

では日常に、「必死」になることなどあるのだろうか。「今日、電車に間に合わへんからって、必死に走ったわ」と言いながらも、死をも賭さない覚悟の通勤客である会社員は「死ぬ覚悟で数字を達成します!」と言ったところでそこまでの会社への忠誠心はないのだろう。

以前こんなことを書いた。

『愛は平和ではない 愛は戦いである
 武器の代わりが誠であるだけで、それは辛く厳しい、
 自らを捨ててかからねばならない戦いである
 娘よ、この事を覚えておきなさい』(6/14日記参照)

これを見ても思うのは、愛することも必死の戦いなのだ。

「必死の手」というものが将棋の世界にはあるらしい。どう考えても詰みとなるような、王手のことを言うようだ。戦争シミュレーションの将棋やチェスに於いて「詰み」は王の首を取られるわけだから、その言葉は理解できる。

だから死をも賭さない必死の覚悟が僕にあるとしたら、それは「恋愛」くらいのものなのかも知れないと思ってる……おほほ、ウソ。


※本日のダジャレー男爵・志賀
【「必死のパッチ」って言葉を思い出した(関西だけかな) 子供の頃からよく使っていたが、今思えばどこから「パッチ」が出てきたのだろう 履き物のパッチ(もも引き・死語)と違うのか? 変な言葉やな】

※「志賀」に来た、ちょっとEE(ええ)メール
【『志賀さんって結構恋愛経験豊富?!ですよね 恋愛の事って、毎日の生活に入り込んでて、色々支障がありませんか?』(3?歳 OLゆかりさん)……今、生活に入り込むほどの恋愛がないですし、それほど経験豊富ではないのですが、仕事やプライベートの「パワーになる人」がその相手なら問題ないのではないでしょうか 「支障」をきたすのなら、愛には発展しないただの恋ですよ だから愛は戦いらしいけど、その戦いは支障ではないのでしょう(深い!)】

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