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台風一過、嘘のような晴れ間に送られてきたメール。「出産のご報告」というタイトルで、2通が届く。
ナンのことはない。1通は画像の添付忘れで、2通目には生まれたばかりの女の子が写ってた。彼女とは横浜をデートした淡い思い出がある。2通の追い打ちに現実を知るが(当たり前)皆幸せになってゆくものである。
なんて少し寂しそうな始まりではあるが、さほどでもない。僕が40歳手前で独身なのを卑下しているわけでもないし、今が寂しいかと言えばなぜか楽しい毎日である。ただ僕が「充分に」楽しいかと言えば、もっとパワーになる人が現れればそれに越したことはない。
いつか彼女と別れたばかりの神戸製鋼の選手に話したことがある。「ラグビーを続けるパワーになる人を見つければいい 妨げになったのならパワーにならなかっただけだ」と、ストレートにも程がある表現を持って諭した。一般に、物事にはタイミングというモノがあると言う。それが決断の時ならば「力になるタイミング」と言い換えてもいいだろう。僕には未だ訪れない瞬間である。
マンションの駐車場で朝方、羽が取れて飛べずに鳴いている蝉を見た。そしてどこからともなく猫がやってきて、そいつをくわえてしまう。僕と目があった猫は、一瞬立ち止まるも、すぐさま奥の車の陰に隠れてしまった。「ジジジジィ〜」と蝉の泣き叫ぶ声がする。僕にはそう思えた。わざわざ、弱肉強食の世界を僕に見せつけなくても……と少し切なくなった。
ところが鳴き声が止むどころか、しつこいくらいにずっと蝉は鳴いている。傍にいた、家で猫を飼ってるおじさんが僕に教えてくれた。
「あれは蝉とじゃれ合っているんだよ」
「へぇ〜〜〜」とトリビアの泉の如く溢れ出る納得に、猫が小さな蝉をくわえてるからって食べようとしているわけではないという、傍観者には理解し得ない世界を垣間見た。見かけで判断する、僕はまだまだ未成熟だ。
この二つの話を無理矢理こじつけるのならば、まだまだ僕は無知で、本質を見抜く力など毛頭ないということだ。一般に蝉は一週間しか生きられないと言うが、飛べない蝉は悲しい生涯と言うよりも、ただ鳴いて7日を過ごすより有意義な一生を送ったのかも知れない。ホントのところは分からない。
「一週間しか」という人間のエゴイズムがもたらす定義は実は彼らにはさほど重要ではなく、猫とじゃれ合うことの出来た蝉ほどに、充実の一生を過ごしたヤツと蝉の世界に名を轟かせることに……あぁ、僕は何を書いているんだろう。日曜朝9時、バルコニーで暑い太陽を浴びながらボクサーパンツ一丁で、無数の蝉の声を聞きながら書いているせいか。今の僕はセミ・ヌードである、というくだらないオチで終わらせるにも話がオチていない。
要は「ナンのために蝉は鳴き続けるのか」くらいに、 「なぜ志賀が独りでいるのか」という質問は、 猫がくわえて連れて行ってくれる以外に
答えの出ない問題だと言いたかっただけだ。
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