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水曜日。梅雨のどんより曇り空。
自宅に12年前の懐かしい寄稿文があった。2004年に、KOBE COLLECTION S/S総合パンフに宛てて書いたものである。この頃は今ほどの大きい規模ではなかった。なぜに僕にオファーがあったのかは詳しく思い出せないが、好き勝手に書かせてもらった。今から思えば、よくもまぁこんな文章を受け入れてくれたものだと思うが、なかなか先見の明はあったんじゃないかと志賀自賛、自画自賛である。以下に転載(一部加筆)それは、次の書き出しから始まった…。
「神戸はオシャレな街だ」と言う人がいるが、 チャンチャラ(死語)おかしな話である。
京都で生まれたと言うと「いいところですよね」と返される。「アンタ、俺の家見たんかっ」っと思うし、「腹でナニ考えてるかわからん」という、所謂「ぶぶ漬け」理論や「一見さんお断り」説も神戸に住んでからはぶつけられてきた。しかし京都が全て「イイとこ」で、人が全員そうならば都は機能しない。つまり神戸がみんなお洒落なら、150万人総「魅惑の変身」である。そんな街はオシャレならずオサルだ。何が個性かなんて見つかりもしない。
神戸で服を買うことがお洒落だと思うのはとても怖い。神戸製鋼ラグビー部に入って努力をしない選手のようである。ブランドを手にして満足すれば、服に着られて、着こなし・振る舞いを知る術もない。
昨年、僕は知人に「KOBE COLLECTION」の招待を受け、ステージ横でカブリツキで観させてもらった。会場にはカワイイ女性が多数いたが、皆同じように見えた。ショー終了後「彼女達、もっと自信を持ったらいいのに」と知人のモデルも言っていた。ココに来ることだけが「良し」なのか。
僕の店では、省略して話す女性に出会うことがある。「アタシ、ヨギパ」…ヨーグルトリキュールをパイナップルジュースで割るということらしいが、どこの部族やお前はっ!である。正しく心地良い響きの対話は、昨今崩れてきた。
そんな中、日常会話で成立するケースもある。「パリコレ」はデザイナーやモデルに憧れのステイタスを与えた。公用語となった時をメジャーと言うのだろう。「キムタク」だって大概ヘンなネーミングなのに、認知されれば勝ち(価値)となった。「シンコレ」か「コウコレ」か分からんが「神コレ」と言われると本物だ。
神戸にいて満足するのではなく、イベントに行ってモデルを観たことを想い出にするのでもなく、ソコに転がっている何かを得ると、着られるのではなく「着こなす」人になれる。若い子が芥川賞を取ったのを読まずに拒否すれば、僕もただのオヤジだ。知識で語ってしまう人々が多い今、見てから文句を言いたい。若者も捨てたもんじゃないかも知れない。
もちろん、僕らも捨てられちゃかなわない。
この目で「神コレ」を確かめようと思っている。
※今日のヒトゴトではないヒトコト&ヒトリゴト&ヒメゴト
【 文体は粗いが、なかなか的を得ているやん^^; 】
※志賀氏的伝言板
【 髪、切りに行きますわ 】
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