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水曜日。少し雨の降った夜、開店前に来たラグビー選手数人を受け入れて暫く話しをする内に、僕のプライベートな話になって色々吐露していた。「任してください!」と任せたつもりはないのに気合いの入る男達に、年下ながら有り難く思う。しかし、いやホンマそっとしておいてくれと見送った。
その日行われた、高校ラグビーの準決勝が好ゲームだったようで、やはり野球、サッカーと並んで高校生の戦いというものは、そのひたむきな姿に普段そのスポーツを観ない人々にも感動を与えているようだ。僕は見逃したのでじゃあ決勝戦は中1日開いて7日なんだなと思っていたら、2日開いての8日土曜日らしい。これはぜひ観たいと思うのだが、その日程に少し引っ掛かった。
確かにラグビーは連戦が過酷な競技だが、このようなスケジュールになったのはいつからなのか。選手をケアするということは解る。水曜に来ていた神戸の選手によると、準決勝で惜しくも敗退した大阪朝鮮高校のCTBに凄い選手がいたのだが、先日脳震盪をおこして3週間試合に出てはいけない、つまり今大会は出ていないらしい。チームにとっては痛手であったはずで、一人だけではすべては変わらない競技にしても、せめて準決勝では出して欲しかった。いつからか脳震盪を「そういう扱い」にするようになったようだが、昔のラグビーをやっていた僕からすれば、脳震盪くらいでと無責任ながら思ってしまう。僕らはそのまま試合続行した。
現代の学生スポーツは明らかに、「先生に子供を預けるから、殴るなり蹴るなり(それはいけないが)お好きなように」という考え方ではない。親の顔色を伺い、危険を回避するためのノウハウを教えることよりも、危険なことはさせない方が無難だとされている。よく言われる「爆弾を抱えて」つまり、怪我をおして出場することなどはさせない。教育に重きを置く学校側や医学上からすれば、それを美談にするよりも、完治してからまたやればいいという考え方なのだろう。
しかしながら僕は古い考えなのか、そこが解せない。裏を返せば、その瞬間しかない選手にとって、例えベストパフォーマンスに遠くとも、舞台に立ったときの計り知れないパワーを信じてみたり、たった数分しか立てないものだとしても、チームの士気を高めるためにその場所にいて欲しい選手もいる。特に高校生の場合は、将来がある、ということなのだろうが、今と昔とは明らかに違っている。
今年引退を決めた満身創痍の選手は、クリスマスの試合で脱臼したばかりなのに、温存という言葉を選ばずに、相手がどうあれもっとラグビーをしたいようである。彼はジャージを脱げば、それは痛々しいテーピングの数だと僕は知っている。無論、医師にはプレーすることを止められているはずで、練習のアタックディフェンスですら「これが最後かも知れない」なんて笑って言っているようだ。
この対照的な今と昔を見れば、そのどちらもが存在する事実に、新旧交代の波を感じずにはいられない。しかし僕は、自分の限界を他人に知らされるより、自分を信じてフィールドに立つことを選んだ選手を、絶対的に応援したい。
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