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水曜日、相変わらず太陽は罪なヤツ。今年の半分が終わって、いよいよ夏である。そう言えば数年前までは、もう既にこの季節には塩屋の浜で泳いでいた。
何せ海はすぐ近くにある。自宅から走り出して塩屋中学を曲がり、ジェームス山の頂上にある三洋電機の研修センター(吸収合併後でどうなるのだろうか?)まで駆け上がり、バブルの頃は億ションだった長谷工のマンションを通り過ぎると、そのまま一気に坂を下る。その昔、西の異人館街と言われたジェームス山住宅街の入口、守り神のように鎮座するライオン像にハイタッチ。そこから見える塩屋の海は、絵ハガキか額装された絵画のようである。ハイソな方々がテニスに興じる塩屋カントリー倶楽部を左に見ながら、あと少しでJRと山陽電車の高架をくぐると国道へ。ファミリーレストランとマンションの間の路から、テトラポットのある浜に出る。その間、10分。プライベートビーチと言えば聞こえはいいが、それはそこそこでも、須磨の海より澄んだ「底の見える」海水に浸ることができる。
京都に産まれ育った僕にすれば、塩屋というマチは憧憬のマチだった。異国情緒がまだ残る街並、水平線の朝日と落日、海沿いのドライブ、遠くからする汽笛の音、停泊する船の灯り。そして何より静かで、空気によどみがない。色々観て歩いてすぐに気に入って、1994年の夏、7月の終わりに移り住んだ。
冷房を使わずに暑さを凌ぐのに、手っ取り早いのは海だった。京都で海に行くと言えば日本海の若狭までと遠く、仕方なく琵琶湖で泳いだ過去がある。だから塩屋に来てからの夏は、「海に行く」ではなく「海に出る」そんな感覚で、それも憧れた光景だった。家からのランニングで、浜に着くやいなやTシャツと短パンを脱ぎ捨て水着で飛び込む。そんなAKB48のPVみたいな夏を幾度も重ねたものだった。
移り住んだ頃は、もう少し東の浜辺によく行っていた。まさしくプライベートビーチで、現実に引き戻される建物も心ない人々のBBQもない。泳いでは砂浜に寝転んで、また暑くなったら海に入る。まさに理想的な過ごし方をした。
しかしそこは、言わずと知れたゲイビーチだった。頭の薄い胸毛の生えたタンクトップ男と華奢な少年のような男、その手を繋いだカップルに睨まれてからの僕は、やはり先述のマンション前の「現実的な」小さな浜に行くようになった。
今思い出しても、あの浜はいい場所だった。
しかしながら再訪するには、海の前に飛び込まないといけない世界がある。
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